2019年2月活動報告 | 札幌のサッカースクール・クラブチームならFIBRA(フィブラ)

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2019年2月活動報告

2018年度最後の月がやってきました。
別れの季節はいつも悲しいです。
中学3年生には8年間見てきた選手もいます。途方もなく長い年月です。
一生のうちの8年間を近くで見ることは職場が同じで無い限りほとんどないでしょう。
小学6年生と中学3年生は最後の最後まで。
それ以外の選手は4月から始まるシーズンに向けて、集中して練習に励んで欲しいと思います。

2月の活動報告は、私のアルゼンチンに行って感じたことを書きたいと思います。

2/16いよいよ私は20年近く思い描いた夢の国アルゼンチンへ旅立つ事になりました。
天気が心配ですので、少し早めの便で。

その後夜の便でまずは経由地のドバイへ。
ドバイまでは10時間ちょっと。
そしてドバイからリオデジャネイロへ。
そしてリオデジャネイロからブエノスアイレスへ。
家を出てから48時間無事にアルゼンチンに降り立ちました。
この飛行機の時間が苦痛でしょうがない。機内食も美味しくない。
椅子で寝れない。
帰りがあると思うと、更に追い込まれます。

研修初日。
牧場にゴールを置いたような土地で、アルゼンチンリーグ3部のトリスタンスアレスというクラブを視察しました。
3部のクラブだけあって、GKの練習用のゴールは木であったり、ボールもクラブで5つしか無い。ゴールネットもついていない。劣悪な環境であっても、サッカー選手としてなり上がれば家族を楽にしてあげられる思いから、厳しい練習に取り組んでいました。3部のレベルですので、日本の選手でも環境に溶け込むことが出来れば十分にプレーできます。
ですが、この環境に溶け込むことが難しい。
アジア人への差別、言語の壁、食事、環境の悪さ、などなど挙げればきりがありません。
その点、18歳のコロンビア人は一人でアルゼンチンに来て、来年度からプロ契約をするそうです。
18歳といえば日本の高校生。
言葉が同じとはいえ、生きる力が強いです。
人一倍積極的に、明るくプレーする姿が印象的でした。

2日目。
あのファンセバスチャンベロンを輩出したエストゥディアンテス。
広大な敷地に、プロの練習場、寮、それ以下の選手たちの練習場や寮、学校まで、一つの町のような場所でした。
育成の名門で名を馳せています。
まずは90分、エストゥディアンテスの育成のトップ指導者から講義を受けました。
講義の中で、規律や教育という単語を何度も並べ、サッカーというスポーツを通して、人間として正しい道を歩んでもらいたいと仰ってました。
ここに来て驚いたのは、育成年代の選手たちが必ず挨拶をします。
昨日の3部の選手たちは誰もしませんでしたが。ブラジル同様ビッグクラブほど教育が浸透してました。
ここでは、スラム街から拾われた選手もいます。
彼らを学校に通わせ、ご飯を食べさせます。
ここのアカデミーから素晴らしい選手が輩出される意味がわかった気がします。
育成に関して。
まずは、身体を自由に動かせることが第一。
その次にボールコントロール。
次に、エストゥディアンテスが掲げるゲームの進め方を練習するというやり方でした。
ベロンがヨーロッパで感じたことをクラブに落とし込んでいるようです。
最新のテクノロジーを選手を把握し、食事、メンタル、など様々な方面からサポートします。
そしてそれは全てデータ化されています。
日本のように、小学生であれば6年、中学生であれば3年という縛りはありません。
ダメなら、すぐに退団させられ、また新たな選手が加入します。
生き残るには狭き道を必死に歩かなければなりません。
レベルは当然最上級。
テクニック、判断のスピード、目を奪われてしまうほどのレベルでした。

夜は世界的にも有名なアルゼンチンのフットサルを視察しました(プロ)

3日目。
FIBRAから何人もお世話になったアルヘンティノス。
敷地に入ると5面の天然芝。
そして、ここのクラブで育った名選手たちのパネルがお出迎え。
マラドーナ、リケルメ、ソリン、、
クラブのプライドを感じました。

ここでは中学生年代の試合を観戦。
まずは体格。
190センチ台が2名。
小さいのはトップ下の選手のみ。
海外の選手は身体の出来上がりが早いと痛感しました。

アルゼンチンの試合は激しい。
怪我なく終わることが難しいほど。
血の気が荒い男たちがボールを奪い合います。
慣れている分、日本では荒れるような場面も荒れるわけではなく、当たり前かのように試合は進んでいきました。
ここでは練習試合であろうと、審判は雇われています。
指導者が主審を務めることはありません。
練習試合にラインズマンは無し。
雇うお金が無いと言います。
多少オフサイドであっても、そのまま流していました。

またこの日の気温は37℃。
にも関わらず走るアルゼンチンに選手たち。
熱中症という言葉はない?
テクニックもフィジカルも頭脳も、最高のプレーを見させていただきました。

4日目。
午前中は2部のフェロカリルおエステ。
ここでは本を5冊も出している名指導者の話を聞く事が出来ました。

アルゼンチンの選手のように、個人技のレベルが高い選手を出すにはどうしたらいいか?の質問対して。
ーアルゼンチンの選手は生まれながらに、ずる賢さや負けず嫌いさ、そして個人技を持っているとお話がありました。ですから個人の練習はしないでも、個人技があるんだと。
全く話になりませんが。。
小さい頃から彼らはストリートサッカーで遊び、その中で自然と培われるものだという解釈で間違いではないでしょう。
サッカー文化の違いです。
文化に勝つには?どうすれば良いのか。
そしてこの方がしきりに話したパーソナリティー。
ここが日本人に足りないと話す。
具体的には、南米に来た日本人はまずリスペクトから入る。
その時点で勝てないと。
同じレベルの選手がいたら、最後まで走り抜ける選手を使うなど、その選手の人格を大切にしなさいと話がありました。
また勝利ではなく育成を。
彼らの将来のために、目先の結果ではなく育てなさいと話がありました。
非常に共感できる言葉がたくさんあり、実りある話を聞く事が出来ました。

午後。
インデペンディエンテのU-12。
ここもアルゼンチンの名門で選ればれた選手達。
8歳でもサッカーを知っている選手達。
技術もしっかりしている。
日本の8歳は、技術もなくサッカーも知らない。
私もこれを見て、低学年から少しだけサッカーの試合のやり方など伝えていこうと思いました。
もちろんここはアルゼンチンの最上級の選手達です。
この頃から、FIBRAとどのように感じたことを調和させていけば良いかを模索し始めました。
私たちは最上級ではありません。
試行錯誤を重ねチャレンジしていきます。

5日目。
ラヌース。1部リーグ。
ここも敷地が大きい。
端から端まで歩くのが大変でした。
ここでは1200名の小学生がサッカー選手を夢見てプレーしています。
驚きの数です。
この辺で気付いたのは、どこのクラブも特別な練習をしていないという事です。
当たり前のことを当たり前にプレーする。
そのような練習を反復して行なっていました。
試合で起こるプレーを練習すること。
これは私たちに欠けている事かもしれません。
イメージしなさいとは伝えますが、実際にはどうでしょう。
練習メニューも少しアレンジして試合に近付けようと思います。

夜は初めてプロのリーグ戦を観戦しました。
殺されるような威圧感に緊張しました。
ブラジルでも慣れていましたが、、
アルゼンチンの方が野蛮なイメージでした。
クラブを熱狂的に愛するサポーターがクラブを強くする。
我が人生をかけて応援する。
サッカーに対する情熱。
この国が世界をリードする訳。
試合を見れば感じる事が出来ます。

6日目。
高校生の時から見たかったバビーフットボールを観戦。
5歳から13歳が練習試合を行なっていました。
まず会場に入るのにお金がかかります。
親であってもです。
入場料は300円。これがクラブの資金源になります。

バビーフットボールとは、、フットサルだと思ってください。
育成のために特有のルールがあります。

まずハーフラインから後ろのシュートはノーゴール。
フリーキックは直接シュートしてはダメ。
キーパーにバックパスはOK。
キックインではなくスローイン。ただしペナルティエリア内にスローインで放り込むことは禁止。
など、パワプレー系の戦術は使えないルールに面白さを感じました。
技術を磨くために考案されたルール。
アルゼンチン代表の多くはこのバビーフットボールから育ちました。
週3回ほどの練習に、土曜日はバビーフットボールの試合が入ります。
彼らはクラブに所属しているので、FIBRAの練習が終わり次第、バビーフットボールの練習に向かうようなイメージです。
練習量は1週間のうち3日ほどは2部練習をしていることになりますね。
日本の選手ももっと練習しなければならない気がします。

最終日。
憧れのボカの試合を観戦しました。
現在2位を走るデフェンサ。
史上初となるリーグ制覇に向けてボルテージは最高潮。
ホームにボカを迎え会場では厳戒態勢が敷かれました。
スタジアムに入るまでに4回の持ち物検査、身分検査。
馬に乗り、機関銃を持った警察が目を光らせています。
非常に危険地域らしく、21:20キックオフということもあって、私たちも気が抜けませんでした。
試合はボカが1−0で勝利。
デフェンサが負けたことにより、スタジアムの危険は更に増します。
終了10分前に我々は帰りました。
スタジアムから迎えの車があるところまでは500m.
現地のアルゼンチン人コーディネーターが血相を変えて、全力で走って車に向かったことを見れば、いかにこの地域が危険で危なかったかがわかります。
生きた心地がしませんでした。

このように簡単ではありますが、夢の国アルゼンチンに行ってまいりました。
私のたりない部分が身に沁みましたし、今後の活力になりました。
必ず良くなります。
より上手い選手を輩出します。
見たこと感じたことを選手達の話していきたいです。

それでは3月。
最後まで集中して頑張りましょう。